どうしても思い出話になってしまいます。
めんたんぴんがいて、夕焼け楽団がいて、と始めるのが普通ですが、実はその頃もっきりやは案外すかしてて、例えば1976年の三回目の夕焼け祭り(僕は獅子吼高原の開場で焼きそばを作ってました)、その数年後、「本多の森は燃えている」(これは今旧美大の跡地(=本多の森)に野外ステージを作って街中でロックをやる、という無謀なイベントでした。トリのめんたんぴんのアンコールにおまわりさんが来て「まわりが迷惑している、電源切れ」とのお達しに、PAの技術者がトイレでいないので怖くて触れません、などと言って結局最後までやってしまったのも懐かしい思い出です。)も主体的に積極的にかかわるというのではなかったのです。頑張ってたのはめんたんぴんヘッズと不思議屋プロ、もっきりやはトム・ウエイツだのレイ・ブライアントだのとそちらに心を奪われておりました。
だからここではあの頃の街の話を。
もっきりやが出来たのが1971年の5月、すでにキャスペとヨークというジャズ喫茶があり、鳩にはハカセがいました。
そしてその秋にVIE VOGUEが開店、おおきなテーブルに座っためんたんぴんのジャケット写真でもおなじみです。竪町に「年老いた子供」という店があったのもこの頃より少し後だったでしょうか、ジョージというブルースバー、もっきりやの二階にはパイドパイパーハウスというレコード屋、三階にはラストサマー、そして寺町には不思議屋、と。
こんな話、きっと若い人には理解できない世界だとは思いますが、今回だけとご勘弁を。

佐々木忠平と飛田一男のジョイントは本当にいいものでした。
30何年の二人のキャリアで、二人だけでフルステージは初めてというのも信じられませんが、豪快に飛ばす忠平のボーカルと、それをやさしく(!?)グルーヴィーにサポートする飛田君のギターはいろいろあっただろう二人の人生をねぎらうように感動的でした。
そして客席に陣取っためんぴんフリークのファン達の暖かい、というより熱狂的なサポート、好きな曲にみんな勝手にコーラスを付けてしまうライブというのはなかなかありません。
DON'T TRUST OVER THIRTY どころか DON'T TRUST UNDER FIFTY なんて感じでスパークするおじさんおばさんの群れは、僕にはとても感動的に映りました。
よかったからまたすぐやろう!と言えるほど簡単な事ではないと思いますが、このライブはバンドやってる若い子らにも絶対聴かせたい、そして勿論、あの頃のトップランナーとして風を切っていたみんなに聴いてもらいたい、と。
忠平さん、飛田さん、ありがとう、こんないいライブをもっきりやでやってくれた事、本当にうれしく思っています。
柴田徹の「春」も心に沁みました。